saitou_ken_monogatari
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ピンとこなかった。むしろ、会社のために働くということに抵抗すら感じた。〈自分は、会社ではなく、社会のために働かなくてはいけないのではないだろうか〉それに、もう少しハンドボールを続けたいという気持ちもあった。斎藤は、父親に相談した。「卒業しようと思えば単位も取れるし、できないことはないんだけども、ぼくは一般企業に就職するのではなく、公務員を目指したい」父親は、理解をしめしてくれた。「一浪するよりは、一留のほうがいい」斎藤は、厚意に甘え、計画留年することにした。ハンドボールを続けながら、翌年夏の国家公務員試験に向けて猛勉強をはじめた。2度目の4年生、いわば5年生となった斎藤は、昭和57年の春の関東学生リーグ戦の試合にもフル出場した。試合を終えたあと、夜、ねじり鉢巻で試験勉強にいそしむ毎日を過ごした。その甲斐もあり、みごとに国家公務員上級試験に合格した。斎藤の第一志望は、11年前の昭和46年7月1日に設立されたばかりの環境庁(現・環境省)であった。公害問題の本を読み、社会科学に目覚め、日本の環境を良くしたいとの思いで文科系に転部した斎藤にとって、環境庁がもっとも魅力的な官庁であった。斎藤は、まず環境庁を訪問し、数人の課長補佐クラスに会った。が、意外なことに、話を聞いても、いまひとつピンとこなかった。次に訪問したのは、通商産業省(現・経済産業省)であった。斎藤の心のなかでは、公害を生み出す産業経済を所管する通産省は打倒すべき相手5・「環境庁か通産省か」8
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