saitou_ken_monogatari
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このとき、アメリカは、日米包括経済協議の自動車分野において「部品購入目標」「外国車を扱うディーラー目標」の2つの日本がとうてい呑めない数値目標を掲げてきた。が、日本側は、これを管理貿易だとして拒否し、経済制裁発動の一歩手前まで交渉は難航した。結局、アメリカが譲歩し、日本の主張が通るかたちで決着するが、国益を背景に緊張した日々は、斎藤にとってかけがえのない経験となった。さらに、あらためて実感した。〈留学中に漠然と感じた不安は、これだったのか〉つまり、冷戦時代が終焉を迎えたことで、アメリカは日本に対して遠慮がなくなってきたのである。斎藤は、この自動車交渉を通じていろいろなことを考えさせられた。たとえば、日米の交渉の仕方である。アメリカ人は、いわばクライアントから頼まれた弁護士のように交渉する。つまり、クライアントの利益を守ることがもっとも大事で、仮に真実が白であっても、クライアントが黒を求めれば、その黒を獲得するのが腕のいい交渉人ということになる。しかし、日本人は、まず白と黒のどちらが正しいのか、その真理を追究してしまう。それは日本16子どもの方がカメラ目線

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