saitou_ken_monogatari
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高校時代にはじめた。が、受験校での運動部であり、トコトンやるというものではなかった。元来、スポーツ好きの斎藤は、どうしてもハンドボールをやりたくなったのである。入部してすぐ、春の関東学生リーグ戦がおこなわれた。東大は、成績がふるわず、このリーグ戦で三部から四部に降格してしまった。ベンチで試合を応援していた斎藤は、悔しくてならなかった。〈チクショー〉この日を境に、斎藤は、ハンドボールにのめりこみ、東大ハンドボール部史上、最強のチームを作ることになる……。東大は、1・2年生の間は、全員、一般教養課程の「教養学部」に入り、目黒区駒場の「駒場キャンパス」で2年間を過ごす。その後、「進学振り分け試験」で2年生の秋に専門の学科が決まり、3年生から実際に、その学科で学ぶという独特の制度をとっている。地震予知をやるために東京大学理科Ⅰ類に入学したのであったが、水俣病やイタイイタイ病などの社会問題に接して考え方が変わった。〈原因を追究する科学者の仕事も大事だが、因果関係がはっきりしないと汚染された排水を止めることはできない。しかし、行政なら原因究明ができていなくても排水を止めることができる。地震を予知することも大事だが、マネジメントも大事だ〉斎藤は、「進学振り分け試験」で理科系から文科系の経済学部に転部することにした。3年生の夏、ハンドボール部のキャプテンに就任した斎藤は、まず部員たちに確認した。「同好会のように楽しくやれればいいのか、それとも、強くなることを目指すのか、みんなの意見3・「公害に接し転部」5さいとう健けん物語
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