齋藤 健(さいとう けん)
学童保育・放課後児童クラブの拡充、負担軽減や学習も補う環境整備に注力。
昭和34年 | 6月14日生まれ 夫婦だけで経営している小さな写真屋で生まれる。 |
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昭和58年 | 東京大学経済学部卒。 大学時代は、体育会ハンドボール部の主将として活躍。あまりに打ち込みすぎて、大学を5年かけて卒業。 大学卒業とともに、通商産業省(現・経済産業省)に入る。 経済産業省時代は、中小企業庁で政策金融機関や信用保証制度の運用に携わったり、構造不況業種対策、あるいは、電力や石油に関わるエネルギー行政、IT政策などを幅広く担当。 |
平成3年 | ハーバード大学大学院に留学。オバマ政権で駐日大使に名前が挙がったジョセフ・ナイ教授や、東アジア・太平洋担当の国務次官補に起用されたカート・キャンベル氏は、ハーバード時代の恩師。また、学生自治会の役員に立候補し、アメリカで選挙戦を勝ち抜き財政委員長に就任したことも。 |
平成7年 | 日米自動車交渉に主力メンバーとして加わり、強固な態度を崩さないアメリカと23ヶ月にわたり交渉し、この歴史的な交渉の決裂を回避。 |
平成11年 | 小渕再改造内閣で通産大臣の秘書官を勤め、24時間体制で大臣に仕えながら、政治とはどうあるべきかについて、身をもって体験する。 |
平成12年 | 内閣官房の行政改革推進事務局に出向し、当時、小泉改革のホットな政策課題であった「道路公団民営化」などの特殊法人改革に取り組む。 |
平成16年 | 上田知事の要請により、埼玉県副知事に出向。企業誘致や商店街振興策等々に力を振るう。 |
平成18年 | 衆議院千葉県第七選挙区の自民党候補公募に応じ、221名の中から選ばれ、補欠選挙に立候補するも、わずか955票差で惜敗。 |
平成21年 | 第45回衆議院議員総選挙において、104,262票のご支援を頂き、比例南関東ブロックで初当選。自民党が大敗し野党に転落する状況下で初当選できた、わずか4人の議員の一人。 任期中は、野党議員として国会質問を37回行う。とりわけ、平成22年11月9日の予算委員会での質疑はネットで話題になり、35万回の動画再生回数を数えた。 |
平成24年 | 第46回衆議院議員総選挙において、104,839票のご支援を頂き、小選挙区千葉七区より二期目の当選。自民党は与党に復帰し、第二次安倍内閣において環境大臣政務官を拝命する。 |
平成25年 | 自民党農林部会長に就任。経産省出身の農林部会長として注目を浴びる。難題の一つであったJA改革では、一般社団法人化への道筋をつけるなどの成果を上げたためか、異例の2期(2年間)部会長を務めることに。 |
平成26年 | 第47回衆議院議員総選挙において、111,030票のご支援を頂き、小選挙区千葉七区より三期目の当選。 |
平成27年 | 農林水産副大臣を拝命。 |
平成28年 | 第三次安倍再改造内閣においても引き続き農林水産副大臣に留任。 |
平成29年 |
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平成31年 | 自民党TPP・日EU・日米TAG等経済協定対策本部事務総長として通商交渉に奔走。 |
令和元年 |
衆議院憲法審査会幹事に就任、憲法改正への地ならしに取り組む。 2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部幹事長に就任。 スポーツ立国調査会幹事長に就任。 |
令和2年 |
衆議院予算委員会理事に就任。 学童保育・放課後児童クラブの拡充、負担軽減や学習も補う環境整備に注力。 子ども宅食推進議員連盟顧問に就任。 |
令和3年 |
コロナ対策の予算早期成立に尽力。 人権外交を超党派で考える議員連盟副会長就任。 ひきこもり問題に関する基本法制定を担当大臣へ提言。 10月 第49回衆議院総選挙において12万7548票のご支援をいただき5度目の当選。 |
令和4年 |
11月法務大臣就任。性犯罪の被害者を減らす「刑法及び刑事訴訟法」等の改正や、外国人との共生社会を前進させる上で必要不可欠な「入管法改正」など9本の法案を提出し、すべて成立。東京で開催された「司法外交閣僚フォーラム」に臨む。 |
令和5年 |
自民党中央政治大学院筆頭副学院長として、次代を担う若手政治家のための「背骨勉強会」を立案。経産大臣就任後もコーディーネーターとして携わる。 |
尊敬する人物 |
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愛読書 |
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最高のしあわせ |
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好きな歌 | 踏みのぼる ふもとの道は 違えども 同じ眺めの 月を見るかな |
好きな句 | 菊づくり 咲きそろうときは 旅の空 |
人生の目標 | 齋藤の好きな言葉は、高杉晋作の辞世、「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものはこころなりけり」である。 高杉が上の句を言ったところで、臨終に立ち会った野村望東尼が下の句を付け加えたとのことだ。齋藤は、この下の句はおかしいのではないかと思っている。高杉のような生き方をした人間が、こんな説教くさいことを辞世で述べるはずがない。 では一体、高杉は下の句をどう読もうとしていたのか。いまの齋藤には分らない。が、彼のように人生を完全燃焼することによって、高杉が真に言わんとしていた下の句を確信をもって発見したい、これが齋藤の望みである。齋藤は、自分のこれからの人生は、この14字を発見するためにあると思っている……。 (『さいとう健物語(作:大下英治)』より抜粋) |