東日本巨大地震からの復興について
この大震災で犠牲になられた方々の人数が日に日に増えていくのを目の当たりにして、沈痛な思いであります。
さいとう健は、平日はほとんど党本部に詰めきり状態にありますが、そこにいると多くの痛ましい話が耳に飛び込んできて、気持ちの晴れることがありません。でも今の私にできることは、国会議員でなければできないことを、死力を尽くしてやり切ることだと心に決めております。
現在の震災対応は、緊急支援段階から生活支援・復旧の段階に入りつつありますが、そう遠くない時期に復興・再生対策の段階に入ります。
自由民主党では、そのときをにらんで、今から準備しておこうということで、「復興再生基本法等の検討に関する特命委員会」というものを本日立ち上げ、さいとう健は、一年生ながら幹事に就任しました。
1923年の関東大震災の時に、時の内務大臣、のちの帝都復興院総裁の後藤新平は、閣議に「帝都復興の議」を提案し、「被害は大きかったが、理想的な都市を建設するには絶好の機会だ」と述べました。
緊急対策に全力を尽くしながらも、同時に、新しい東北・東日本を建設する、志の高い復興再生計画を企画していきたいと思っております。
たとえば、街づくりで言えば、商店街、病院、公営住宅などを近接させたコンパクトシティ、災害に強い街づくり、環境に優しい街づくり、エネルギー効率のいい街づくり。都市計画も従来の線引きにこだわらない理想的な線引きを行う。
産業政策で言えば、農地の再整理を含んだ大規模農地を実現し競争力の高い農業の実現、近代的な漁業の推進、アジアのマーケットをにらんだ製造業の力強い再建等々。
いずれも、日本の将来を先駆けする取組を東北・東日本で実現しようというものです。
さらに、わが千葉七区も含めて首都圏有事の際の対策として、首都機能のバックアップ機能をどこかに確保することなどを盛り込んでいきたいと思っております。
被災者の皆さんは、今、筆舌尽くし難い苦しい時期を過ごしておられますが、この苦しい時期を脱した先には、「夢のあるふるさと」、「日本のこれからをリードするような新しい東北・東日本」があるんだと思っていただけるような、そういうプランを企画していきたいと思っております。
後藤新平のプランは、結局頓挫いたしましたが、多くのものが残りました。昭和通り、日比谷通り、晴海通りはこのとき整備されました。隅田川にデザインを競い合うように橋がかかっているのも、隅田川を橋の博物館にしようという後藤のアイデアによるものです。横浜の山下公園をはじめとして都市公園の整備も進みましたし、築地の魚市場もこのときできました。
苦しみの先に夢がある。さいとう健は、その夢を皆さんとともに描いていきたいと思っております。
※ この週末地元に戻った際に、わずかな時間を利用して義捐金の募金活動をしたいと思います。
ご協力いただけるとありがたいです。
3月27日(日)15:30~16:30 新松戸ダイエー前(雨天中止)
平成23年3月25日
衆議院議員 さいとう健