2020年五輪 東京開催へ
ついに、東京にオリンピック・パラリンピックがやって来ます。
これだけこの瞬間を待ち望んでいたことでしょう。皆さんとともに喜びたいと思います。
昭和39年のとき5歳だったさいとう健も、あのとき日本全土をおおった高揚感ははっきりと覚えています。
前回、東京に開催地が決まったのは昭和34年でした。昭和20年に終戦となり、まだまだ塗炭の苦しみから立ち直っていない我が国がオリンピックを開催することになったのです。
そしてそのときから、昭和39年には戦争から見事に立ち直った日本を世界の人たちに見せようと、日本の奇跡の復活が勢いづきました。
オリンピックまでに新幹線を作ろう、オリンピックまでに高速道路を作ろう、オリンピックまでに……といったように。
さいとう健は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックもスポーツの祭典で終わらせるのではなく、2020年に世界の人たちが日本にやってきたときに、こういう日本を見せようと様々な分野で盛り上げていくオリンピック・パラリンピックにしなければと強く思っています。
震災・原発事故から力強く復活した日本を見せよう、世界最速で進む高齢化に見事に対応している日本を見せよう、エコで環境最先端の日本を見せよう、2020年までにを合言葉に、様々な分野で多くの日本人が燃え上がるオリンピック・パラリンピックにぜひともしたい。
そして、前回のオリンピックのときもそうだったように、日本人が自信を取り戻し、日本が困難を克服したオリンピック・パラリンピックになったなぁと後から振り返れるようにぜひともしたい。
少しスケールが小さくなりますが、かつてハンドボールに熱中し、今、日本ハンドボール協会の副会長でもあるさいとう健は、何としても2020年オリンピックを契機に日本のハンドボールを一段と飛躍させたいと思っています。
多くの人々の思いを乗せて、2020年東京オリンピック・パラリンピックは今日スタートしました。
最後に、誘致に向けてご努力された全ての皆さんに感謝申し上げます。
興奮さめやらぬまま。
平成25年9月8日
衆議院議員 齋藤 健