自由民主党 衆議院議員 さいとう健 Official Site

官僚たちの夏

私が通商産業省(現経済産業省)へ入省する大きなきっかけとなった 小説「官
僚たちの夏」が、本日より連続テレビドラマにて放映されます。以前、私自身も
同小説について書評を書き下ろしたことがありますので、皆さんにご案内致します。
お読みいただくことで、新しい角度からこのドラマを眺めていただければ幸いです。
(少々長文ですがお付き合い下さい)

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 毎年夏が来ると、多かれ少なかれ意識の程度に差があっても、「官僚たちの夏」
という言葉が頭をよぎる。22年前の夏、就職先をどうするかで悩んだときに紐解
いたのが、城山三郎氏による「官僚たちの夏」(昭和50年、新潮社刊)であった。

 実在した通産事務次官の佐橋滋氏をモデルにしたこの小説は、主人公の強烈な個
性もさることながら、日本の経済と産業に思いをいたす通産官僚のはつらつとした
姿と生々しい葛藤が描かれており、通産省を就職先に選ぶきっかけとなった。

 その後、自分自身の「官僚たちの夏」を20回以上過ごして、再び本書を熟読して
みると、その課題の身近さに驚く。政治と行政の関係、大臣と事務方の関係、行政
マンとしての心がけ、人事のあり方などなど、今も自分をとりまく問題意識が凝縮
されている。答えの有り様がいろいろであろうが。

 佐橋滋氏が幹部として過ごした昭和30年代後半とくらべて、今や時代は大きく脈
打った。個別産業に国がてこ入れして事前裁量によって競争力の強化を図った時代
は終わりを告げ、市場メカニズムによって企業を鍛え、優れたルールメイキングに
よって自国の産業競争力を確保してゆく新たな時代を迎えている。

 また、経済産業活動は当然のことのように国境を越え、もはや、高度な国際戦略
性のある政策を立案できない国は、負担だけ求められても国際的尊敬を勝ち取るこ
とは出来ない。そして何よりも残念なことは、志を疑われるような各種事件の続発
が、自ら招いたものとはいえ、誇りある職としての公務員の地位を一変させた。

 往時は茫々である。

 だが、資源も食糧もエネルギーも十分になく、輸入しなければ生きてゆけないと
いう我が国の実情は変わらない。そのためには、競争力のある産業を国内に有し、
諸外国との通商をうまくやるしかない。そういった日本の原点に立ち戻ったとき、
その通商と産業にかかわる政策を立案する過程において、志ある連中が登場しなく
ていい理由はない。「官僚たちの夏」、心の中で絶えず改訂されながらも常に存在
し続けなければならない、我々のモチーフである。

 風越信吾(小説中の佐橋氏の名)の個々の判断について振り返ってみると、どう
かなと思うものがないわけではない。時代錯誤だったとの批判もあろう。だが、人
間というものは、情報も限られ、しかも差し迫った状況で決断を迫られるわけであ
るから、全ての判断を完璧に行うなどということはそもそも不可能である。

 より大事なのは、生き様を間違えなかったか、ということだ。風越信吾の一生で
最も光芒を放つのは、彼は判断を間違えたかもしれないが、生き様は間違えなかっ
たという点である。

 この点こそが、時代を超えて我々後輩に重くのしかかる。官僚たちの夏は、終わ
らない。
(平成15年/月刊文藝春秋9月号より)

2009年7月7日                      
さいとう健


2009.07.07|考え方

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